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238:元SHIBUYA CITY FCのGK・高島康四郎さんゲスト回、GKと出場機会とビジネスと

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今回の話題 ・元SHIBUYA CITY FCのGK・高島康四郎さんをゲストに ・京都東山高校から大学、八戸、島根と渡り歩いたサッカー人生 ・「出られないGK」だからこそ辿り着いた心の持ちよう ・サッカーとビジネスを両立する新クラブ Dual Grit FC ゲスト・高島康四郎さん、京都東山高校で鎌田大地と重なった3年間 今回は元SHIBUYA CITY FCのゴールキーパー・高島康四郎さんを迎えたインタビュー回。身長192cm、京都市北区の出身で、姉がプロゴルファーだった関係で仙台・石川と移り住み、小学5年の転校を機にゴールキーパーを始めた。進学した東山高校は、ちょうど鎌田大地が3年生、高島さんが1年生という時期。クラブ出身の実力者が集い高校年代のプレミアリーグ昇格に沸くチームで、無名の中体連出身から「身長だけを買われて」進学した高島さんは、3年間公式戦出場ゼロだったと明かす。 専修大学でも出番はなく、コロナ禍の河川敷で叩き込まれたGK 大学は指定校推薦で専修大学へ。サッカー推薦ではない一般入部で、ここでも出場機会はほぼ巡ってこない。「高校1年から大学3年までずっと試合に出ていない」というキャリアだったが、転機は4年時のコロナ禍。数か月チーム活動ができない間に河川敷でゴールキーパーを一から叩き込まれ、「大学3年まで自分はGKをやっていなかったと気づいた」ほどの出会いを経て、関東大学リーグ1部の試合に抜擢される。ただしチームは1部から降格。専修大と中央大の残留争いでの大敗など、ほろ苦い思い出も交えて振り返った。 就職活動で嘘がつけず、プロの道へ。ヴァンラーレ八戸でアカデミーコーチも兼任 大学4年では就職活動もしたが、「面接で嘘がつけない」。志望動機を問われて「サッカーがやりたい」と口走ってしまい、その場で自分には無理だと悟る。監督や家族を説得し、プロとしてサッカーで生きる決断をした。青森県内の複数クラブから声がかかり、条件は別のクラブの方がよかったものの、自ら希望してヴァンラーレ八戸へ。トップチームでの出場機会はほぼなく、幼稚園から高校まで見るアカデミーのゴールキーパーコーチ(メインは中学年代)も兼任した。「選手より指導者の方が向いていると自分でも分かっていた」と振り返る。 「出られないGK」だからこそ辿り着いた、心の持ちよう 高校から続く「試合に出られないゴールキーパー人生」を、どんなマインドで過ごしてきたのか。若い頃は「なぜ出られないんだ」と、前に立つキーパーのミスを願うような気持ちもあったという。だが「この人が怪我をしても、ミスをしても、自分の評価は上がらない」と気づいた瞬間があった。相手のミスを願っている状態では、いざ出番が来ても自分の準備やプレーに目が向いておらず良いパフォーマンスはできない――。競争相手を上回らなければ評価されないという原点に立ち返った話に、パーソナリティ2人も「めっちゃいい話」と唸った。 島根・松江シティFCを経て、環境を求め関東へ その後は島根へ。松江シティFCに加入するが、本州を股にかけた移動の大変さを語りつつ、ここでも出番はほぼなかった。成長できる練習環境を求めて関東に絞り、JFL昇格直後のブリオベッカ浦安へ。それでも出場機会は巡ってこず、「総じて出ていない」サッカー人生が続いた。 SHIBUYA CITY FCの2年間と、グリーンバードでのクリエイティブ/地域活動 浦安を1年で経て、JリーグでのGK挑戦も視野に動く中、SHIBUYA CITY FCがゴールキーパーを探しているという話が舞い込む。「SHIBUYA CITY FCって何だ」と当初は知らなかったが、ホームページを見て「なんだこのかっこいいチームは」と一目惚れ。社会人カテゴリーで熱く戦う選手と、それを応援する人たちの熱量に惹かれて入団し、2年間プレーした。ピッチ外でも、2006年から関わるNPO・グリーンバード(表参道発祥の街の清掃活動)でクリエイティブディレクターとしてWebサイト改修などを手がけるなど、クリエイティブと地域活動の両面でも街とクラブに貢献。長谷部健・現渋谷区長がグリーンバードの生みの親だという逸話も飛び出した。 サッカーとビジネス、...
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