#169【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展21:ドイツの王権その2
カートのアイテムが多すぎます
ご購入は五十タイトルがカートに入っている場合のみです。
カートに追加できませんでした。
しばらく経ってから再度お試しください。
ウィッシュリストに追加できませんでした。
しばらく経ってから再度お試しください。
ほしい物リストの削除に失敗しました。
しばらく経ってから再度お試しください。
ポッドキャストのフォローに失敗しました
ポッドキャストのフォロー解除に失敗しました
-
ナレーター:
-
著者:
このコンテンツについて
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第152回目は「ドイツの王権その2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇オリジナル基本
1356年、神聖ローマ皇帝カール4世は金印勅書を発して皇帝選挙法を定めた。これにより、有力諸侯7名が選帝侯として皇帝選出権を握ることが明文化され、また領内における完全な裁判権や徴税権など、諸侯の独立的地位が保障された。この結果、皇帝権は制度的に制約され、ドイツにおける政治的分裂はいっそう固定化・進行することとなる。
1437年、ルクセンブルク家のジギスムント皇帝が死去すると、翌年、帝国諸侯はオーストリアのハプスブルク家出身であるフリードリヒ3世を神聖ローマ皇帝に選出した。以後、例外的な中断はあるものの、ハプスブルク家は広大な世襲領の保持と結婚政策によって皇帝選挙において優位な立場を保ち、神聖ローマ皇帝位をほぼ一貫して独占する体制を築いていく。
まだレビューはありません