『#100 「今日、生きていてよかった」と思える樫村さんの人生物語1』のカバーアート

#100 「今日、生きていてよかった」と思える樫村さんの人生物語1

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このコンテンツについて

記念すべき100回目の配信は、いつも大変お世話になっている樫村さんです。パチパチパチ「今日、生きていてよかった」と思える樫村さんの人生物語を配信しました。1.いじめっ子だった少年が、人と人とを繋ぐリーダーになるまでいつもエネルギーに溢れ、行動力が半端でない樫村さん。ゼスト株式会社代表取締役、一般社団法人グローバル人事塾では、どんな場面でも、優しく場をまとめる“兄貴分”的な存在です。けれど――彼の人生を深く聞いてみると、まったく違う顔が見えてきました。横浜で生まれ、大阪、横須賀と転々としながら、常に「水」がそばにある生活環境で育った樫村さん。子供時代はガキ大将、学生時代は引っ込み思案、そして社会人では独立されて人を導くリーダーへ。55年以上の人生で培われた、**樫村さんの「本当の強さとやさしさ」**を、あなた自身の耳で確かめてください。 2.幼い日のトースター事件「幼稚園の頃、お腹が空いて、自分でパンを焼こうとしたんです。そしたら、トースターが燃えちゃって…」幼い樫村さんは、目の前で火があがるのをただ見ていることしかできなかった。どうしたらいいか、わからなかった。「両親がそばにいない寂しさ。何もできない無力感。」その光景は、50年以上経った今でも鮮明に記憶に残っています。それは、樫村さんの人生に繰り返し現れる「原体験」だったのかもしれません。 3.両親の離婚、そして“何もできなかった”悔しさ小学1年生のとき、両親の喧嘩。父が母に手をあげ、幼い彼はその場に立ち尽くしました。「悲しい。辛い。でも、どうすることもできない。」母をかばいながら、その無力感が胸に焼きつきました。愛情を求めても、うまく届かない。そんな“寂しさ”が、彼の中に静かに根をおろしました。 4.引っ込み思案の学生時代学生時代の樫村さんは、あなたが今見ている姿とは正反対でした。2〜3人の決まった友人としか遊ばない、非社交的な若者でした。 「えっ、あの樫村さんが!?」そう、信じられないかもしれません。毎日ライブハウス・レコード店に通い、音楽に没頭する日々。それは社会への反抗でもあり、現実からの逃避でもありました。「掴みどころのないありふれた人間」――周りから見れば、**「何者なんだ?」**という存在。「自分が好きになれなかった」孤独な人生。深い人間関係を築けない苦しさ。30代半ばまで、そんな日々が続きました。あの人を惹きつける笑顔も、愛嬌のあるトークも、実は“努力の結晶”だったのです。 5.しかし、そんな彼が変わった理由とは?「愛情に飢えていた10代」「寂しがり屋とリーダー、両方の顔を持つ矛盾」「2008年4月、起業という決断」樫村さんの人生には、私たちが学ぶべき**"何か"**があります。それは、過去のトラウマや弱さを抱えながらも、人生を切り開いていく勇気と行動力です。 6.43歳、人生が変わった瞬間「目立つのは嫌いだった。でも、どこか自由なアウトローに憧れていた」今では「とても社交的ですね」「コミュニティづくりが得意ですね」と言われる樫村さん。しかし、20代・30代の彼は、まったく違う人間でした。2013年、樫村さんが43歳のとき、すべてが変わりました。きっかけは、GCDF(グローバル・キャリア・ディベロップメント・ファシリテーター)という国際資格。資格取得後の継続学習プログラムを見て、彼は思いました。「高すぎるセミナー費用。これに毎月何万円も払うのか…?もっと安価で受講できるプログラムはないのか・・?」そして、ある決断をします。「だったら、自分で継続学習の場を作ればいいんじゃないか」 7.「グローバル人事塾」誕生2023年、樫村さんは『人事の力で世界をかえる!』をビジョンに「グローバル人事塾」を立ち上げます。最初はたった3人でスタートし、今では50名の有志・仲間が支えてくれている。月2〜3回、全国で10数年以上継続する人事コミュニティへと成長しました。でも、本業の時間を削って人事塾を存続させる意味はあるのか?と道半ばで自問自答しながらも、樫村さんは続けることができたのでしょうか?理事の松田さん曰...
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