• #12 「だれもが初体験の正月」 山本一力

  • 2023/03/27
  • 再生時間: 7 分
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『#12 「だれもが初体験の正月」 山本一力』のカバーアート

#12 「だれもが初体験の正月」 山本一力

  • サマリー

  • キッコーマンは、食にまつわる楽しさやうれしさをつづっていただく「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテストを応援しています。 今回は、第12回「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテスト」のために直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセー「だれもが初体験の正月」をお届けします。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「だれもが初体験の正月」 山本一力 昭和20年代後期、こども時代を過ごした町は木造平屋と二階建てばかりで、鉄筋建物はなかった。大晦日には、朝から町はしょうゆとみりんが主役の「おせち作り」の香りに包まれた。当時の木造家屋は気密性からは遠く、隙間だらけと言えた。大半の家には冷蔵庫もなかった。そんな暮らしでも、一夜明ければ元日だ。どこの家も朝から、おせち料理を作り始めた。冷蔵庫はなくても真冬なら、ひと晩を越しても傷みはしない。 しかも濃い味付けだ。八畳ひと間で、天井板も張られていない市営住宅の大晦日。料理の熱源は炭火の七輪と練炭火鉢、焚き口ひとつのかまどだ。それらを総動員し、母は次々と調理を進めた。とはいえ鍋釜の数は限られている。煮物から始めた献立が出来上がると深皿に移し、鍋を洗って次の料理に取りかかった。上がり框に並べられたどんぶりや深皿には、新聞紙がかぶせられた。日常の暮らしにはなかった美味しげな香りは、こどもを激しく刺激した。我慢できず覆いを持ち上げたら。「外で遊んできなさい」の声が飛んできた。どの家の隙間からも漂い出ていた、大晦日のあかし。こどもたちは鼻をひくつかせながら、寒空の下、原っぱで遊んでいた。                   *                   60年余りが過ぎた、今年の大晦日。我が家は、おせち作りが朝から始まる。が、例年とは大きく様子が異なるだろう。長男も次男も巣立った。高齢者の親父に感染させられぬと、元日も顔を出さぬという。正月はカミさんとふたりで祝う段取りだ。そんななかでも、大晦日の台所周りは、ホウロウのボウルで埋まるはずだ。煮物、焼き物、和え物、酢の物、甘味物。献立に応じて千切りにしたり、塩出しをしたり、角の面取りをしたりと、手前の支度が必要だ。それらの食材がボウルの内で、出番に備えているのだ。高知の大晦日、おせち作りにこどもの出番はなかった。カミさんは巧みにこどもの手を借りてきた。昆布やスルメを鋏で切るのも、出来上がりを重箱に形よく詰めるのも、こどもに委ねた。わたしは遠い昔同様、邪魔せぬように原っぱならぬ、床屋に出かけてきた。丑年を迎えるための、今年の大晦日。故郷には帰らず、実家から離れて新年を迎える方も多々おられよう。我が家とて同様だ。同じ都内にいながらも、親とは別に暮らしている長男も次男も、次の元日には顔を出さぬと伝えてきた。元日を共にできぬと、親父は落胆。「来ないと決めた気持ちを察しなさいよ」きつい一発を女房から食らい、老いては子に従えの箴言が、耳の内でぐわんと響いた。おいしい記憶は時空など、やすやすと越えてしまう。積み重ねてきた正月の記憶は、帰らぬと決めたあなたの脇で息づいている。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― どんな時にも、毎日おとずれる食の機会。2020年は、新しい生活様式が求められ、食をとりまく環境も変化しましたが、あらためて「食」の価値に気づくきっかけにもなりました。あなたの「おいしい記憶」が、明日への力になりますように。 ■キッコーマン企業サイト ブランドページhttps://www.kikkoman.com/jp/memory/index.html ■コンテストの受賞作はこちらからご覧いただけますhttps://yab.yomiuri.co.jp/adv/oishiikioku/See omnystudio.com/listener for privacy information.
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あらすじ・解説

キッコーマンは、食にまつわる楽しさやうれしさをつづっていただく「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテストを応援しています。 今回は、第12回「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテスト」のために直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセー「だれもが初体験の正月」をお届けします。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「だれもが初体験の正月」 山本一力 昭和20年代後期、こども時代を過ごした町は木造平屋と二階建てばかりで、鉄筋建物はなかった。大晦日には、朝から町はしょうゆとみりんが主役の「おせち作り」の香りに包まれた。当時の木造家屋は気密性からは遠く、隙間だらけと言えた。大半の家には冷蔵庫もなかった。そんな暮らしでも、一夜明ければ元日だ。どこの家も朝から、おせち料理を作り始めた。冷蔵庫はなくても真冬なら、ひと晩を越しても傷みはしない。 しかも濃い味付けだ。八畳ひと間で、天井板も張られていない市営住宅の大晦日。料理の熱源は炭火の七輪と練炭火鉢、焚き口ひとつのかまどだ。それらを総動員し、母は次々と調理を進めた。とはいえ鍋釜の数は限られている。煮物から始めた献立が出来上がると深皿に移し、鍋を洗って次の料理に取りかかった。上がり框に並べられたどんぶりや深皿には、新聞紙がかぶせられた。日常の暮らしにはなかった美味しげな香りは、こどもを激しく刺激した。我慢できず覆いを持ち上げたら。「外で遊んできなさい」の声が飛んできた。どの家の隙間からも漂い出ていた、大晦日のあかし。こどもたちは鼻をひくつかせながら、寒空の下、原っぱで遊んでいた。                   *                   60年余りが過ぎた、今年の大晦日。我が家は、おせち作りが朝から始まる。が、例年とは大きく様子が異なるだろう。長男も次男も巣立った。高齢者の親父に感染させられぬと、元日も顔を出さぬという。正月はカミさんとふたりで祝う段取りだ。そんななかでも、大晦日の台所周りは、ホウロウのボウルで埋まるはずだ。煮物、焼き物、和え物、酢の物、甘味物。献立に応じて千切りにしたり、塩出しをしたり、角の面取りをしたりと、手前の支度が必要だ。それらの食材がボウルの内で、出番に備えているのだ。高知の大晦日、おせち作りにこどもの出番はなかった。カミさんは巧みにこどもの手を借りてきた。昆布やスルメを鋏で切るのも、出来上がりを重箱に形よく詰めるのも、こどもに委ねた。わたしは遠い昔同様、邪魔せぬように原っぱならぬ、床屋に出かけてきた。丑年を迎えるための、今年の大晦日。故郷には帰らず、実家から離れて新年を迎える方も多々おられよう。我が家とて同様だ。同じ都内にいながらも、親とは別に暮らしている長男も次男も、次の元日には顔を出さぬと伝えてきた。元日を共にできぬと、親父は落胆。「来ないと決めた気持ちを察しなさいよ」きつい一発を女房から食らい、老いては子に従えの箴言が、耳の内でぐわんと響いた。おいしい記憶は時空など、やすやすと越えてしまう。積み重ねてきた正月の記憶は、帰らぬと決めたあなたの脇で息づいている。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― どんな時にも、毎日おとずれる食の機会。2020年は、新しい生活様式が求められ、食をとりまく環境も変化しましたが、あらためて「食」の価値に気づくきっかけにもなりました。あなたの「おいしい記憶」が、明日への力になりますように。 ■キッコーマン企業サイト ブランドページhttps://www.kikkoman.com/jp/memory/index.html ■コンテストの受賞作はこちらからご覧いただけますhttps://yab.yomiuri.co.jp/adv/oishiikioku/See omnystudio.com/listener for privacy information.

#12 「だれもが初体験の正月」 山本一力に寄せられたリスナーの声

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