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街中の小さなふれあい

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街中の小さなふれあい フランス在住  長谷川 善久 天理教の教えによると、この世界の始まりは「人間が互いにたすけ合い、陽気に暮らす姿を見て共に楽しみたい」という親神様の願いにあるとされています。 残念ながら、これまでの人類の歴史では、戦争、紛争、憎しみ合いが無くなったことはありません。一方で、個人生活のレベルで見れば、神様の願いに叶うような経験、一度きりの偶然の出会いで心を通わせたり、ほんわかした優しさを感じたり、小さな幸せを味わうような経験は誰にでもあるのではないでしょうか。 人に接する際に大切なこととしてまず浮かぶのは、心のこもった挨拶やお礼の言葉です。「おはよう」「こんにちは」「ありがとうございます」といった明るい声は魔法の言葉で、この言葉一つでその場の空気は変わります。 この教えでは、挨拶のみならず、人に掛けるすべての言葉「声」は、畑にまく肥料に語呂を合わせ、人生を肥やす「肥」になり得ると教えて頂きます。 学生の頃、天理教に批判的だった未信者の友人から、思いがけずこんなことを言われました。 「先日夜遅くK君に誘われて、あまり気は進まなかったけど本部の神殿に一緒に行ったんだよ。正直退屈だったけど、気持ち良かったことが一つあったわ。神殿に上がる時に、靴べらを持った見知らぬ人に声を掛けてもらってさ、『こんばんは、ご苦労様です』って。俺みたいな奴にも声を掛けてくれて、なんだか嬉しかったよ」 私が住むフランスでは、日常生活の中での、「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」などの挨拶が何よりも大事です。例えば日本でコンビニに入った時に、カウンターにいるアルバイトの店員に挨拶をする人はほとんどいないでしょう。しかし、フランスではお店に入る時には必ず「こんにちは」と挨拶し、出る時には「さようなら」と言います。 これは単なる個人間の礼節に由来するものではなく、フランスでは文化的要因を含む常識となっています。 フランスでは、個々の存在を大変重要視しますが、それを起因として「こんにちは」には三つの意味づけが見られるそうです。 まず、そこにいるのはお店の人だという承認。次に、その人は職業従事者である前に一人の人間であるという配慮。そして、この配慮の上に、お互いの立ち場の違いを超えた平等性を構築することが出来るのです。 もし、あなたが黙ってお店に入ってしまえば、店員はあなたから「人として存在しない者」、あるいは単なる「道具」モノであると見なされたと思い、侮辱されたと感じてしまうのです。 実際、私も来仏当初は、このようなフランスの文化を知らずに数々の失敗をしました。 あるレストランでは、注文してから料理が出てくるのがあまりに遅いので、日本にいる調子で少し強めの声で店員さんを呼ぶと、「分かってるから、いちいち呼ぶな!」と、かえってより大きな声で怒鳴られたこともありました。 また、高速道路の料金所では、すぐにお金を受け取ってもらえず、窓口の人は私に「ボンジュール」と繰り返すばかり。訳が分からず困惑していると、「ハッ」と気づきました。答えは「あいさつ」。お金を渡す前に、私に対してキチンと挨拶をせよ、ということだったのです。おかげで今では、街中で道を尋ねる時でも、いきなり要件から入らずに、相手の目を見て「こんにちは」とひと言挨拶をする所から会話に入れるようになりました。 このような、日常生活のどんな場面であっても、人を決して道具のように扱わないフランスの生活ぶりが私は気に入っています。 お客さんに対する店員の対応で、こんなこともありました。私たちが食事をとっている隣のテーブルに、落ち着いた感じの中年のフランス人の男女カップルがいました。男性のほうは、席に座るやずっと一人で携帯を見ています。30代ぐらいの女性店員さんが注文を取り終えた後も、ずっと携帯を見たままでした。向かいに座るフランス人女性は、黙ってつまらなさそうな様子です。 そこに料理を運んできた先ほどの店員さんが、男性に向かっておもむろにこう言いました。 「あなた、何...
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