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第18回【射水神社】中編

第18回【射水神社】中編

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今回は、6〜7世紀前半の日本をテーマに、「中央集権化とその限界」をわかりやすくひもときます。景泰天皇から推古天皇、そして聖徳太子の時代にかけて、ヤマト政権が地方豪族をどうまとめようとしたのかを整理しつつ、当時の朝鮮半島情勢が日本の政治や外交に与えた影響もあわせて解説

  • 景泰天皇は皇位継承の正統性に不安を抱えた中で即位し、中央集権化を進める必要に迫られていた
  • 朝鮮半島では新羅が台頭し、百済・任那との関係を軸にしていた日本の外交環境が大きく変化した
  • 地方豪族、とくに吉備や筑紫などの有力勢力との関係調整が、政権運営の大きな課題だった
  • 九州北部で起きた「磐井の乱」は、中央の外交方針や支配強化への反発として位置づけられる
  • 乱の後、天皇の直轄地である「三宅」を設置し、地方支配を強める足がかりが作られた
  • 「国造制」によって地方豪族を地域支配の担い手として位置づけつつ、中央豪族がその上に立つ階層構造が形成された
  • 「部民制」や「カバネ」によって役割や身分の序列を見える化し、統治を制度化しようとした
  • ただし、地方豪族は依然として人や職能を握っており、中央の支配はまだ限定的だった
  • 推古天皇・聖徳太子の時代には「官位十二階」が導入されるが、主に畿内周辺の豪族にしか及ばず、地方まで統合するには至らなかった
  • 中国的な官僚国家を目指しながらも、当時の日本はまだ本格的な官僚機構を持てていなかった
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