神の国が来ない理由(ヨハネの黙示録5章7節~10節)
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概要
序)古代ユダ王国の即位式(王の就任式)と黙示録の比較
・旧約:冠、巻物、油注ぎ→(角笛)→「王様万歳!」となっていた。
・黙示:勝利、巻物、聖霊【七つの目】→「王様万歳」?⇔「新しい歌」
・黙示録の即位式は、旧約の儀式をマイナー・チェンジしている。
・角笛と「王様万歳」に相当する賛美は、11 章 15 節~17 節まで先延ばしになっている。
1)新しさ①:神の国はイエス様一人が王ではない!
・王の即位式の中に「子羊に贖われた者たちが地を治めるために任命され、派遣されること」が加えられている。
・神の国は、聖徒たちが共に治める世界であり、ダニエル書7 章で啓示されていたことである。
→ダニエル 7:13~14「人の子のような方」が王になる幻は、18節、27 節で「聖徒たちが国を受け継ぐ」「国と、主権と権威は、…聖徒である民に与えられる」と解説されている。これが一人の王がいてピラミッド型の世界を形成する「獣の帝国」との根本的な違い。
・人が人を支配することがない世界「互いに仕え合い、従い合う」世界
2)新しさ②:神の国はイスラエルだけが対象でもない!
・贖いの対象は「すべての部族、言語、民族、国民の中から」である。
→「すべての部族」とは、イスラエル十二部族を思わせる表現。
→「言語、民族、国民(文化的区別)」は異邦人を指す(ダニエル書由来)。
→子羊(イエス・キリスト)は、誰をも迎え、誰も贔屓しない「いと高き神の聖徒たち」=教会を贖い出した。
3)贖いとは、「神の国司(神のかたち)」としての立場の回復である。
・「王国とし、祭司とする」とは 1 章 5 節~6 節で先取りされていた。治められる臣民になることでも、宗教的なことばかりをする者のことでもなく、神の国府の要人、国司(今でいえば、首相補佐官に相当)のことである。
結)神の国が来ない理由
・ネガティブな意味では、教会が、祈りと賛美だけで「待つ」のでは、神の国は来ない。聖霊とともにこの世界に派遣され、この地を治めることなしに、神の国は来ない。
・ポジティブな意味では、イエス様がひとり先にゴールするお方ではなく、私たちと共にゴールするために忍耐していてくださっているから。