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安心して従う生き方(稲葉奈々) – 創世記 24:42–49

安心して従う生き方(稲葉奈々) – 創世記 24:42–49

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2026年7月5日 三位一体後第5主日

説教題:安心して従う生き方

聖書: 創世記 24:42–49、マタイによる福音書 11:25–30、詩編 145、ローマの信徒への手紙 7:15–25

説教者:稲葉奈々(日本ナザレン神学校 3年生)

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「神に従う生き方」とは、一体どのようなものなのでしょうか。今日の聖書箇所に登場するアブラハムの年老いた僕は、主人の息子イサクの結婚相手を探すという大役を任されました。彼は主人から絶大な信頼を得ていましたが、自分の経験や判断に頼ることなく、まず神に祈り、判断を神に委ねました。彼は「自分の持っている全ては、神の与えるもの以上に良いことはありえない」という神への信頼とへりくだりをもって行動しました。また、リベカの家族に対して「そうでなければ、そうでないとおっしゃってください。それによって私はどうするか、決めなければなりません」と語り、自分の確信を神の意思だと過信しない謙虚さと柔軟さを示しました。祈れば必ず思い通りの結果になるわけではありません。祈りは、神からの見返りを保証するものではないからです。だからこそ、僕のように、神への心からの信頼と、目の前の出来事に対する柔軟さの両方を忘れないことが大切ではないでしょうか。リベカもまた、突然の縁談という状況に置かれましたが、彼女は自ら水を汲み、らくだにも水を与え、与えられた出来事に能動的に応答しました。彼女もまた、「神から与えられるものすべては良いものである」という信頼をもって行動していたのです。登場人物一人ひとりの決断と行動の根底には神への絶対的な信頼がありました。私たちも人生の中で重荷や理不尽に直面しますが、神から与えられる良きものに全信頼を置く生き方を選ぶことができます。私たちは、自分の人生という個別の物語を生きているように見えますが、実際には一人ひとりの物語がかけ合わさって、この世界が形づくられています。絶望の物語の中に生きている人が溢れる世界の中で、教会に集う私たちは用いられようとしています。神の配慮のもとに集められた私たちが、安心して生き、お互いを思いやって行動する姿を通して、この世界に神をあらわしていくよう招かれています。主に従う生き方とは、この世界の現実を変える力を持った生き方です。その確信を握り、喜びと希望を携えて歩んでいきましょう。

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