大いなる方に生かされた歩みへ(エレミヤ書10章11節~25節)
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概要
序)四旬節(レント・受難節)の歩みの始まり
・2 月 18 日の「灰の水曜日」を経て、イースターへ向かう四旬節に。
・エレミヤとイエス:「涙の預言者」エレミヤの受難の姿にイエス・キリストの受難を重ね合わせる。
1)偽ものの神々が祀られた地で(1 節~15 節)
・天のしるし(天文現象)や立派に飾られた偶像に心を奪われる民。
・人の手で釘付けしなければ倒れてしまう、命なき「動かぬもの」への恐れ。
・主こそが、知恵と力をもって天と地を造られた「生ける神」「とこしえの王」
・11 節だけアラム語:全領域に届く共通語で語られた「天と地を造らなかった神々は滅びる」という力強い断言。
2)エレミヤの嘆き悲しみ(12 節~21 節)
・万物の素材(金、銀、木)さえも造られた主のわざ。
・三度の「ヘベル」: 偶像を「空しい(ヘベル=息、はかなさ)」と切り捨てるエレミヤ。伝道者の書を連想させるこの言葉は、虚無の中でこそ「創造主を覚え、神の戒めに生きよ」という招きである。
・預言者の共感と痛み:裁きの現実(捕囚の備え)を前に、エレミヤは傍観せず、民の病と痛みを「自分のもの」として背負う。
・この姿に、全人類の罪と痛みを負われた主イエスの十字架が予示されている。
3)人の歩みは主によって確かにされる(22 節~25 節)
・北からのざわめきが現実となり、町が荒れ果てようとしている。
・信仰の告白:「人間の道はその人によるのではない」(23 節)。自分の歩みを確かにできるのは主のみであるという徹底した信頼。
・公正(ミシュパート)への願い:感情的な怒りではなく、神の「公正(掟・契約)」に基づく懲らしめを求める。
・それは単なる罰ではなく、その先にある「回復」と「平安」を見据えた、愛ゆえの祈りである。
結)大いなる方に生かされた歩みへ
・私たちもまた、日々の恐れや偶像に飲み込まれそうになる「民」の一員
・だからこそ、聖霊の助けと信仰の仲間が必要であり、目に見えない主の臨在を心に留める。
・創造主を知らぬ地にあって、神の愛から発する「痛み」を分かち合い、隣人に心を配る者でありたい。