勝利の再定義(ヨハネの黙示録5章5節~7節)
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概要
序)黙示録5 章の意味と文脈
① 1 節「御座に着いておられる方」の右手にある巻物…神の国の王を探す神。「七つの封印」は遺言書testamentを連想させる。
② 神の国の王になる者がいないという悲惨が「ヨハネの涙」の象徴
③ 神の国の王にふさわしい者=イエス様と礼拝によって出会える。
④ 私たちも神の国の王子、王女としてイエス様とひとつになる。
1)「勝利」がつなぐ「7つの手紙」と5章
・「勝利」というキイワードは、王を探すストーリーに適合する。「勝利者が王になる」というのは一般的である。
・「勝利」は黙示録 2~3 章で展開された「7 つの手紙」の結論に出て来る約束と関係している。3章21節が5章との接続点。
・イエス様の得た勝利にならって、教会も勝利を得よと招かれる。
→イエス様が得た勝利とは何なのかという疑問が5章以降で展開される。
2)聞こえてくる「軍事的リーダー」の象徴
・黙示録に描かれる神が導く暴力的な表現は、神のためには暴力も厭わず、神ご自身が最終的に圧倒的な力で悪を滅ぼすという言説を導いてきた。現在も、この延長線上に国際政治が展開されている部分がある。
・「ユダ族から出た獅子」とは、創世記 49 章 8 節~10 節を背景にし、ダビデによって具現化された軍事的リーダーの象徴である。
・「ダビデの根」とは「ダビデ王朝が切り倒された後に残った『切り株』から出て来る新芽(=ひこばえ)」のことを指す。イザヤ 11:1 参照
3)「聞いたこと」と「見たこと」のギャップによる展開
・「獅子が勝利した」とヨハネは「聞かされる」が、彼が「見た」のは「屠られた姿で立っている子羊」だったという点に意図的なメッセージがある。
・「獅子」から「子羊」にシンボルを置き換えることで、勝利の再定義を読者に促している。戦いは「軍事的」ではなく「霊的」なものである。(ただし、「霊的」というのはふわふわした”宗教的なもの”ではなく、極めて現実的なものであることに注意。)
結)私たちの「勝利」とは何か~聖霊に導かれて問い続けよう。
・物事の見た目が、私たちの思惑通りになることが「勝利」ではない。
・神の国が広がるとは、聖書的価値観が暴力や、権力や、説得力などによって押し付けられていくことではない。