今ここに訪れた命(稲葉基嗣) – ヨハネ 14:1–7
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ナレーター:
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著者:
2026年6月28日 三位一体後第4主日
説教題:今ここに訪れた命
聖書: ヨハネによる福音書 14:1–7、イザヤ書 58:6–11、詩編 146、コリントの信徒への手紙 一 1:8–9
説教者:稲葉基嗣
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ヨハネによる福音書にとって、永遠の命とは何よりも、神との豊かな交わりです。このような神との交わりは、完全なものではないかもしれないけど、今、この時、この場所で、もう既に味わい、体験できるものです。というのも、イエスさまが私たちに命をもたらし、神と私たちを今、ここで、結びつけてくださっているからです。イエスさまの側から歩み寄り、神と私たちを結びつける道をイエスさまが作り出してくださいました。その道は、私たちのもとに今、ここに、この場所に、神と共にある、豊かな命が訪れていることを伝える道です。多くの場合、私たちは命を受け取るよりも、命をすり減らす気持ちを味わいます。私たちの生きる世界はまさに、命が訪れたことを実感するよりも、命が傷つき、踏みにじられ、奪われることの方が遥かに多く感じてしまう世界だと言えます。でも、その一方で、どれだけ立ち止まっても、私たちの命が回復しないと実感することだってあります。というのも、私たち人間が抱える罪や悪によって、社会の構造によって、私たちは命が傷つき、損なわれてしまっているからです。だから、ヨハネは、イエスさまを見つめるようにと私たちに促しています。そう、イエスさまが命そのものとして私たちのもとに来てくださいました。それは、人生において、この社会において、そしてこの世界において、命が傷つき、損なわれ、踏みにじられてばかりいる私たちにとって大きな希望です。キリストによって、今、私たちの傷ついている命が回復されるというのですから。命であるキリストよって、永遠の命を確かに得るというのですから。イエスさまは私たちが神から与えられた生命を分かち合うことを望んでいます。そして、何よりも、私たちに出来るのは、共に生きることです。見放したり、無視したりするのではなく、共に生きる道を選んでいくことです。そのようにして、イエスさまを通して、私たちのもとに訪れた命を私たちは、私たち自身を通して、他の誰かと共に分かち合うことができます。もちろん、それが難しい時だってあります。そんな時には、どうか教会の交わりに頼ってください。神が備えてくださった、命にあふれる交わりがここにあるのですから。神と共にある永遠の命はイエスさまを通して私たちのもとに訪れています。そして、教会の交わりを通して、この命が訪れることを心から実感し、喜ぶことができるのです。