『人間の真骨頂(マルコの福音書15章39節)』のカバーアート

人間の真骨頂(マルコの福音書15章39節)

人間の真骨頂(マルコの福音書15章39節)

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序)循環論法ではなく、たましいを揺さぶる問いかけ

・イエス様は神の子なのは、聖書に『この方は本当に神の子であった』と書いてあるから、という循環論法的に読まれることがある。

・『この方は本当に神の子であった』と訳されているが、『この方が本当に神の子であったのか?』と訳すこともできる。

1)ローマの百人隊長が使う「神の子」の意味

・聖書の中で「神の子(基本義:神から生まれた者)」は様々な意味のレベルで使われている。

*三位一体の第二位格の「神の子」(新約完結後の結論)

*神に認められた王としての「ほむべき方(神)の子」

*人間離れした、神の性質を帯びた、神聖なものとしての「神の子」…ローマ皇帝も、この意味で「神の子」と呼ばれた。≠神格

・「この方は本当にローマ皇帝にならぶ卓越した人だった。」という意味か「これがローマ皇帝に並ぶ存在だと反逆を企てた人間なのか?」という意味か?

2)翻訳で端折られた言葉「the 人間(ホ・アンスローポス)」

・翻訳では「この方は」と主語の中に隠されてしまっているが、「まさしく、これぞ人間、神の子だった」と訳す方がニュアンスを汲み出せる。

・百人隊長の言葉は「本当の人間(=the 人間)」とは、このように神の性質を表すものだ。私は今、人間の在り方の本来の在り方、神聖な在り方を見せられている!」という驚きである。(この場合、疑問形でも意味は変わらず、むしろ反語として強調される。)

3)イエスの「死に様」に人間の真骨頂を見た百人隊長

・百人隊長をはじめ極限状態でいのちのやり取りをする兵士ほど、いのちの重みを知っており「人間」とは何かを追求する者である。

・戦場では「獣になれ(己の生存本能に従って、生き残るために何でもしろ)」と鼓舞され、十字架の上で獣になる人間をたくさん見て来た。

・その百人隊長が「このように息を引き取る」様子を見て告白するのであり、復活を知って告白するのではないことに注意。

・「わが神、わが神、「何のために」わたしをお見捨てになったのですか」と最後まで、神への信頼と、目的に生きる愛を手放さなかった。

結)「まさしく、これぞ人間、神の子だったのか!」

・では、自分は「人間」なのか。こういう息の引き取り方ができるのか。

・イエスの弟子の道を行くならば、あなたも人間、神の子になれる(=神のかたちの回復を遂げられる)と福音は告げる。

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