『ヨーロッパで気づいた「音楽の前提」の違い』のカバーアート

ヨーロッパで気づいた「音楽の前提」の違い

ヨーロッパで気づいた「音楽の前提」の違い

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なぜヨーロッパでは、音楽の話をすると哲学の話になるのか?

ドイツやフランスでのツアーの中で感じたのは、音楽が単なる娯楽としてではなく、思想や人生と強く結びついたものとして捉えられているということでした。
食事の席でも、ヨハン・ゼバスティアン・バッハやイマヌエル・カント、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテといった名前が自然に出てきて、そこから現代音楽や哲学の話へと繋がっていく。
音楽の感想ではなく、「それがどういう思想なのか」という問いが、当たり前のように交わされていました。

一方で、日本では音楽を語るときに、どこかで“わかりやすくすること”や“難しい話を避けること”が前提になっているようにも感じます。
その違いはどこから来ているのか。

自分自身も、東京で音楽を学ぶ中で、エンターテインメントを作ろうとしたことは一度もなく、
何に対してなのかはわからないけれど、ただ“切実な何か”に向かって音楽を作っていた感覚がありました。

その感覚は、日本では一部の人にしか届かないものだと思っていた。
しかしヨーロッパでは、それがより広く共有されているようにも感じられました。

さらに印象的だったのは、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』が、フランスでは一般的な教養として読まれているという事実でした。
日本の美学が、別の文脈で深く理解されている。

今回の経験を通して改めて浮かんできた問いは、
「音楽は何のためにあるのか」ということです。

人を楽しませるためのものなのか。
それとも、何かを考えるためのものなのか。

この問いに対して、自分自身ももう一度向き合ってみたいと思っています。

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