なぜ主イエスの名によって祈るのか?(稲葉基嗣) – ヨハネ 14:8–14
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ナレーター:
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著者:
2026年7月12日 三位一体後第6主日
説教題:なぜ主イエスの名によって祈るのか?
聖書: ヨハネによる福音書 14:8–14、出エジプト記 34:1–9、詩編 116、ヘブライ人への手紙 12:1–3
説教者:稲葉基嗣
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物事には形式や、ある程度決まった型というものがあります。手紙などの書き方を教えてくれるため、形式や型は、私たちの支えになります。今日開いたイエスさまの言葉は、私たちの祈りに影響を与えている言葉です。私たちは、「主イエスのみ名によって祈ります。アーメン」と言って、祈りを終えます。これはまさに、繰り返し用いられている祈りの型といえるものです。イエスさまの名で祈ることは、イエスさまのことを思い起こすことです。イエスさまは何を行い、何を願っているのでしょうか。イエスさまの名で祈ることは、イエスさまと私たちの思いを重ね合わせ、イエスさまの願いや目的へと私たちが引き込まれていくようなものです。でも、そう考えると、イエスさまの言葉に、違和感を覚えるかもしれません。イエスさまが「願うことは何事でも、私がかなえてあげよう」と語っているからです。それは何だか、私たちの願いをかなえることを保証するために、イエスさまの名前を使って祈ることをイエスさまが励ましているかのようです。それって、まさに自分勝手な祈りなのではないでしょうか。「私がかなえてあげよう」と訳されている言葉は、直訳すると「私は行う」です。私たちが願った通りのことを機械的にイエスさまがしてくれるわけではありません。私たちが主イエスの名によって願うならば、イエスさまは能動的に行動されます。イエスさまの名によって祈る私たち自身は、イエスさまの思いと心を重ね合わせるようにと導かれていきます。イエスさまはここで、イエスさまの名によって神に向かって祈る私たちと共にいて、私たちと共に行動すると伝えようとしているのです。そう考えると、主イエスの名によって祈ることは、私たちの願いを押し通すこととは正反対のことです。神に私たちの願いを伝えながらも、神のもとに私たちの願いを手放していくことだからです。それは、自分の感情や思いを押し殺すこととは違います。自分の願いにただただ固執することをやめて、イエスさまと一緒に歩むべき道を模索していくことです。私たちが生きる世界は願いと願いがぶつかり合い、溝が深まり、争いがあります。そのような世界で生きているからこそ、主イエスによって呼び集められた教会という共同体は、主イエスの名によって祈り続けます。自分自身の願いを一度、神に預けます。自分の願いを押し通すためではなく、主イエスが示される道を共に歩むためです。