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そのひと言があったから

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そのひと言があったから 助産師  目黒 和加子 「よく、曲がらないで育ったもんだ。そんな環境にいたら、道を踏み外して不良になってもおかしくないよ」 私の生い立ちの話になると、夫のめぐちゃんは、切なさと不思議さが入り混じった顔でそう言います。 「不良になるチャンスは何回もあったわ。悪くなっていく同級生や先輩も身近にいてたし」 めぐちゃんと私が育った昭和50年代は、素行不良の中高生が続出し、校内暴力・家庭内暴力が社会問題になった時代。 「今日を限りにいい子はやめる!悪い仲間に入ってグレてやる!って決意したことがあってんけどね。そのひと言があったから、道を外さんと踏ん張れてん」 「へえー。そのひと言って、なに?」 昭和43年。私が4歳の時、父の事業が失敗。父は多額の借金を残し、浮気相手のホステスと蒸発。ヤクザまがいの借金取りが入れ代わり立ち代わりやって来て、一家心中寸前まで追い込まれました。 その後、大阪から遠く離れた父の所属教会に預けられ、次に信者さん宅に引き取ってもらい、半年後、大阪に戻りました。が、元の家ではなく、そこは親戚宅の三畳間。 事情を知らされていない私は、「パパはどこにおるの?」と母にたずねました。途端に母の顔がこわばり、つないでいる手が震え出したのです。 〝パパのことを聞いたらあかんのや〟。幼心に刷り込まれ、それからは言わなくなりました。 もちろん、母も父のことを一切口にしません。その後も別の親戚宅を間借りして、浮草のような暮らしが5年も続いたのです。 小学三年生の時、親戚宅から独立し、アパートを借りて母と私と弟の三人で暮らせるようになりました。母は生活と父の借金返済のため、看護師の仕事以外に内職もしていました。働きづめで余裕がなく、笑顔が消えていったのです。 「お母さんが暗い顔してる。なんとかせなあかん」 元気の出る明るい歌を笑顔で歌い、掃除、洗濯、アイロンがけに買い物、何でもしました。 「和加ちゃんが歌ってくれると心が明るなるわぁ。家のことをしてくれるから安心して仕事に行ける。ほんまにたすかるわ」と微笑む母。 「わ・か・ちゃん。あ・そ・ぼ~」 「今、お風呂の掃除してんねん」友達が誘いに来ても、あくまで家のことを優先。 「帰ってきたら、すぐお風呂に入れるようにしといたげよ」 母の笑顔見たさに懸命に家事をする、しっかり者のいい子だったと思います。 父のことはもっぱら親戚から聞かされました。 「自分がつくった借金を女房に丸投げして、ホステスと逃げる最低な人間や。お父さんみたいな人になったらあかんよ。あんな人でなし!」 父は周りの人を不幸にした張本人です。しかし、そんな親でも悪く言われると子供の心はえぐられ、次第に傷は深くなります。 中学生になって間もない頃、法事で親戚が集まりました。会社の社長をしていた親戚のおじさんが、酔った勢いで「和加ちゃん、お父さんに似てきたなぁ。横顔なんかそっくりや。あんたのお父さんは悪い奴でなぁ。有名大学を出てるから営業部長にしてやったのに、営業だと言ってキャバレーで会社のお金を使い込んだ。だから倒産したんや! 倒産が決まった時に『社長がバカだからこんなことになったんだ』なんて言いやがって!」そう言って、手元にあったおしぼりをテーブルに叩きつけたのです。 「すみません、すみません」小さくなってひたすら謝る母。その姿がみじめで情けなくて、〝お父さんのしたことやのに私にぶつけるんや。これからも言われ続けるんやろな。もう耐えられへん。いい子はやめる。グレてやる!〟と決意したのです。 さっそく、不良グループを観察。「どないしたら仲間に入れるんかなぁ」と探っていました。 そんなある日、夕食の片づけをしていると母が側に来て、ニコッと笑うと、「和加ちゃんが産まれた時、お父さんはすごく喜んだのよ」と言ったのです。父のことを一切話さない母が、しかも笑顔で。そのひと言だけ言って、隣の部屋に行ってしまいました。 産まれてきた我が子を見て喜ばない親はいないでしょうから、ごく当たり前のことを言...
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