『がむしゃらに、ひとすぢに』のカバーアート

がむしゃらに、ひとすぢに

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がむしゃらに、ひとすぢに 福岡県在住  内山 真太朗 以前おぢばの学校に在学していた時、同級生10名とともに大阪の教会で合宿し、約一カ月間にわたって、にをいがけに歩かせて頂きました。大阪に出発する前、仲間たちと話し合い、この一か月のにをいがけで帰参者をお与え頂き、日を決めてマイクロバスでおぢばがえりを実施しようと目標を掲げ、全員で勇んで布教に歩くことを申し合わせました。 朝の通勤ラッシュの時間帯での神名流し・路傍講演に始まり、そこからそれぞれ各家庭を一軒々々戸別訪問。「こんにちはー!天理教の布教師の者ですが!」「陽気ぐらしの天理教です!」「何かお困りのことはありませんか?」と元気に声を掛けますが、いくら勢いよく言っても先方の反応は冷ややか。 「うちは結構ですから、もう来ないで下さい」「ほかの宗教を信仰してますから」「なに!天理教?いらん!帰れ!!」と、ほとんどの訪問先で断られ、怒られ、なかなかうまくいきませんでした。 勇めない日々が続きましたが、その中にも、数十軒に一軒は少しでもお話を聞いて下さったり、また病気の方にはおさづけを取り次いだりと、コツコツ歩く中に勇みの種を頂くこともあり、何とか心を倒さず通らせて頂いていました。 しかし、日が経つにつれて徐々に焦りも出始めてきました。目標である、帰参者をご守護頂くというプレッシャーからくるものです。もう少し、勢いよく。もう少し、断られても一軒々々粘って…。自分自身の気持ちを奮い立たせて戸別訪問を繰り返しましたが、うまくいきません。 他の仲間たちはポツポツと帰参者をお与え頂いたという報告もあり、余計に焦りとイライラが襲ってきました。もちろん、帰参者をお与え頂くという結果が全てではないのは分かっていましたが、だからといって諦めたら、この布教が何の意味もなくなるような気がしました。だから、「何が何でも、どうでもこうでも帰参者をお与え頂いて、一緒におぢばへ帰らせて頂きたい!」こういう思いで、とにかく真剣に、とにかくがむしゃらに一日々々最後まで諦めず必死で戸別訪問に歩きました。 毎日同じ地域を集中的に訪問し、おぢばがえりの三日前からは、現地まで行き帰り片道40分の道のりを一人で神名流しをしながら歩き、途中で休憩していた時間を割き、空き地でみかぐらうた十二下りを踊り、休憩なしで一日中戸別訪問に回らせて頂きました。しかし、なかなか結果は出ません。 そして、いよいよおぢばがえり前日。今日しかない、結果は神様のお与えだから、とにかく終わってから後悔しないように最後までやり抜こうと思い、約30棟からなる団地を全て回らせて頂こうと心を定め、臨みました。 この日はいつになく多くの訪問先が、「天理教」と名乗っただけで門前払いでしたが、それでもなお延々と続けました。でも、こちらがどんなに「お道の教えを知ってもらいたい」と思っても、「幸せになって頂きたい、たすかって頂きたい」という気持ちを伝えようとしても、取り合ってもらえず…。それはあまりに辛くてしんどくて、途中からは泣きながら回っていました。 そんな時、ふと我を振り返りました。考えてみれば、今までの人生でも、たくさんの人たちがくれた色んな厚意を、無情にも踏みにじってしまったことが何度あったか。それによって、どれだけの人を傷つけてしまったことか。 私の通ってきたそのような道があったのだから、今このような思いをするのは当然だ。親神様は、私のそんな癖性分に気付かせるために、この試練を与えられたに違いない。そう思うと断られるのは自然の成り行き。不足していた自分を申し訳なく思い、すぐに近くの空き地でお詫びのおつとめをさせて頂きました。 「親神様、やっと気付きました。これからは、どんな応対をされても親神様のなされることと思って勇ませて頂きます」 時刻は午後4時。本来なら帰る時間だったのですが、とにかく最後と思い戸別訪問を再開しました。午後5時前、心身共にボロボロになりつつ、もうそろそろかと思い、これを最後の訪問にしようとインターホンを押...
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