いのちのパンと礼拝(ダニエル書1章1節~16節)
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序)ダニエル書 1 章の舞台設定
・時:紀元前 606 年頃、アッシリアに代わって台頭してきたバビロンにエルサレムは包囲され、降伏する。(第一次捕囚)
・所:「シンアルの地(バベルの塔の場所)」の「神の神殿(神の家)」
1)バビロンの意図~王族をバビロン人として造り変える~
・名前の変更はアイデンティティを変更させる重要な出来事である。神によって良い方向に変えられる例もあるが、ここではバビロン人に変えようという意図がある。外見はユダヤ人のままバビロン人にする。
・ダニエルたちが連れて来られ、軟禁され、バビロンの言語、文化を教育されたのは「神の家(神殿)」であった。名前を変えることも教育も拒むことはできなかった中で、食事だけを拒んだ。これがダニエル達が神に用いられた秘訣だった。
2)迎合でも隔絶でもなく~バビロンに染まらず、バビロンで仕える~
・ダニエルたちはバビロンにいて、バビロンの王に仕え、実績を出しながら、それでも異教の神々やその信仰には染まらずに歩むことができた。
・当時のユダヤ人もキリスト教会も迎合の道か隔離の道を歩みやすい。
・迎合すれば塩気を失う。隔絶すれば、小瓶の中で塩の腐敗が始まる。
・塩気を失わず、社会と距離を置くこともない在り方を貫いたダニエルたちの秘訣は「王が食べるごちそう」を食べないことだった。
3)「王のごちそう」がもつ意味
・「王のごちそう(バテパグ)」とは専門用語で、これを食べることは 2 つの「信仰告白」になった。第一はバビロンの王がマルドゥークというバビロンの神の代理人であること、第二に、このマルドゥークによって自分たちは養われ生かされていること。「バビロン教の聖餐式」だった。
・「同じ釜の飯を食う」という言葉が示すように、バビロンの王のごちそうを食べていくなら、バビロンの王に似ていくことになる。
・バテパグの拒否は、たましいのコアを譲らないことの宣言であり「野菜と水」は「主への信頼を食べる」ことの象徴だった。
結)パロディ(バビロン教)をひっくり返せ!
・私たちは真の神の家(教会)で、イエス様のバテパグ(ごちそう)を積極的に食べ、イエス様に似ていくように招かれている。
・毎週の礼拝式は、イエス様のごちそう(いのちのパン)のフルコースである。「招きの言葉」はサラダ、「賛美」はスープやジュース。メインディッシュは「聖書朗読」であり、その消化を助ける「宣教」である。
・「頌栄」という乾杯をもって、私たちは世界へと遣わされていく。