『「日毎の糧」の謎を解く(主の祈り⑤)(マタイの福音書6章11節)』のカバーアート

「日毎の糧」の謎を解く(主の祈り⑤)(マタイの福音書6章11節)

「日毎の糧」の謎を解く(主の祈り⑤)(マタイの福音書6章11節)

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序)「主の祈り」を神のことと人のことに分けてはいけない!

・天と地をひとつに結びつけることを目指すのが、主の祈りである。

1)「日毎の糧(パン)」が主の祈りの中心なのに…

・ギリシア語原文では「私たちのパンを、日毎を、お与えください、私たちに、今日」という順序に並んでいる。他の祈りのことばは、動詞が先に来ている。例:「来ますように、御国が」「救ってください、悪から」

・主の祈りの 7 つの祈りすべてが「私たちの日毎の糧」にかかっている。

・しかし「日毎の糧」という「翻訳」ではこの重みを受け止めきれない。

・この意味が間違いだということは紀元 4 世紀のヒエロニムスもわかっていた。彼は「超生存 supersubstantiālem のパン」と訳している。けれども当時の教会からの「わかりやすさの圧力」に屈することになった。

→その結果、この祈りが山上の説教と矛盾するようになり、私たちの現実としても空洞化するようになっているのではないか。

2)「エピウーシオス」の意味を求めて

・「日毎の」と訳される言葉は、主の祈り(マタイとルカで 1 回ずつ)の中でしか使われず、聖書以外の文献に一切出てこない。

・1898 年にエジプトのパピルスに(買い物メモのようなもの)に「エピウーシオス」と書かれたものが見つかり「日毎の」が確定したかのように思われた。しかし 100 年後の再調査でこれは事実誤認だと判明。

・これは当時流行っていた造語文化で理解すべき。「エピ(上回る)」+「ウーシオス(生存・財産・生計の手段・人を生かすもの)」で福音書記者によって造られた言葉。「真に人を生かすもの」という意味。

3)ただ求めるのではなく、ささげて受ける「超生存のパン」

・「真に人を生かすパンを、私たちに、今日お与えください」という祈りではない!「私たちのパンを、真に人を生かすもの(=エピウーシオス)として、今日、私たちにお与えください」という二段階の祈り。

・「私たちのパン」とは私たちの手元にある「日毎の糧(働いて稼いで食べる日常の営みそのもの)」であり、これを神にささげ「エピウーシオス」なものとして受け取り直すことが、この祈りの核心である。

結)「真に人を生かす」とは

・自分のために食べて消費するのは「ウーシオス」、隣人を生かす歩みのために食べ「小さなイエス」として生きるのが「エピウーシオス」

・共にこのパンを食べるイエスの「コパン」が世界を生かす!

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