『「埼玉に400年続く飲食店がある」言ったら誰も信じなかった(埼玉県吉川市)』のカバーアート

「埼玉に400年続く飲食店がある」言ったら誰も信じなかった(埼玉県吉川市)

「埼玉に400年続く飲食店がある」言ったら誰も信じなかった(埼玉県吉川市)

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今日から話せる埼玉自慢、永谷あきひさです。このチャンネルでは、「何もない県」「ダサいたま」などと言われてきた埼玉県の人たちに、埼玉の自慢できることについて紹介していきたいと思います。もし「ダサい玉」と言われたら、この話を言い返してください。今日のテーマは、埼玉県で現存する最古の飲食店、吉川市の料亭「糀家(こうじや)」についてです。埼玉県で現存する最古の飲食店って、何歳だと思いますか?答えは約400年。江戸の開幕と同じ年に吉川で開店したのが糀家です。ディズニーランドも新幹線もスカイツリーよりも古い。埼玉にはそんな場所があります。吉川の命運を決めた「2つの川」吉川市は埼玉県の南東、江戸川と中川という2つの大きな川に東西から挟まれた土地です。この「川に挟まれている」というのが、吉川の命運を決めました。川があるということは、魚がいるということ。特に吉川で採れたナマズは、江戸時代から珍重されてきた食材でした。川との付き合いが長い土地には、川魚を料理する文化が育つ。そうして生まれたのが糀家というわけです。江戸開幕、慶長の頃、吉川の地に一軒の料理茶屋が開かれました。それが糀家の始まりです。歴史を動かした大人物たちが愛した味面白いことに、この店には歴史を動かした大人物たちが通った記録が残っています。新選組の近藤勇、幕末の実力者・勝海舟、明治の政治家・板垣退助。こうした著名人がわざわざ吉川を訪ねて、この店で舌鼓を打った。なぜか。それは、ここにしかない味があったからです。つまり、糀家は「川」という条件が生み出した、唯一無二の料理を持つ店だった。その価値が時代を超えて、権力者たちを呼び寄せたんです。ところが、ここからが大事です。400年って簡単には続きません。多くの老舗は時代の変化に負けて消えます。江戸から明治へ、明治から大正へ、戦争を挟んで経済成長へ。それでも糀家は川辺に立ち続けた。なぜか。答えは「場所と文化の結合」だと私は思います。川があり、ナマズがいて、それを料理する技がある。この3つがセットになると、時代が変わっても根っこは変わらない。そのセットを糀家は400年守ってきたんです。400年の歴史が育んだ「総合的な日本文化体験」令和の今、糀家に足を運ぶと、最初に目に入るのは建物です。創業当時の面影を残す佇まい、その玄関を入るとロビーには美術品が並んでいます。文化勲章を受賞した作家の作品、そして錦絵の巨匠・谷文晁(たにぶんちょう)が描いた絵、さらには葛飾北斎の肉筆画まで。なぜ料亭に美術品があるのか。これはオーナーの歴代の人たちが、400年かけて集めてきた品々なんです。つまり、糀家という空間は、食べ物だけでなく美術品を通じても日本文化と向き合える場所になっているわけです。地元で暮らす人の感覚で言うと、糀家は特別な日のための場所です。「大事な客人を迎えるなら、ここ」「人生の節目を祝うなら、ここ」。そういう位置づけが400年ずっと変わらない。つまり、糀家は単なる古い店ではなく、時代ごとに「何が大事か」を教えてくれる場所になっているのです。江戸の人も、明治の人も、令和の人も、人生の大事な瞬間に立ち戻る場所。それこそが老舗の正体だと私は思います。整理します。江戸時代:川魚の珍味を求めて著名人が訪れる場所近代: 歴史の転換期を見守る老舗として令和:美術品を含めた総合的な日本文化体験の場として糀家はずっと、ここでしか得られない価値を持ち続けてきた店なんです。条件は変わる、でも文化を守る力だけはずっと変わらない。聞いてくださったあなたへ。もし吉川を訪れることがあったら、立ち寄ってみてください。そしてお庭を眺めながら、「この場所は何を守ってきたんだろう」と考えてみてください。川がある、だから魚がいた、だから料理がある、だから人が集まる。その簡潔な因果関係が400年分積み重なっているのです。地形を読むと歴史が見える。歴史を知ると場所の価値が変わる。老舗は偶然では存在しません。必ず根拠がある。その根拠が川であり、文化であり、守り続けた人たちの...
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