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#696【エリザベス1世】母が処刑されたロンドン塔へ幽閉!最大の危機を生き延びた王女

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⭐ポッドキャストステッカーベースに参加します!https://teket.jp/17509/76428本日のテーマ:「母が処刑された塔へ――エリザベス、最大の危機」異母姉メアリー1世の治世下で、反乱への関与を疑われたエリザベス。母アン・ブーリンが処刑されたロンドン塔へ送られ、死と隣り合わせの尋問を耐え抜いた経験が、後の女王をさらに慎重な政治家へと変えていきます。👇今回の見出し👇エドワード6世の死/王位継承危機/レディ・ジェーン・グレイ/九日間の女王/メアリー1世即位/カトリック復活/プロテスタント弾圧/ブラッディ・メアリー/フェリペとの結婚/スペインへの警戒/ワイアットの乱/エリザベスへの疑惑/ロンドン塔/アン・ブーリンの記憶/死と隣り合わせの尋問/沈黙と自制心/証拠不足/ウッドストック軟禁/メアリーの後継者問題/エリザベス即位への道👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇① エドワード6世の死で王位継承が大混乱1553年、異母弟エドワード6世が15歳で死去すると、プロテスタント勢力はカトリックのメアリーへの王位継承を阻止しようとし、レディ・ジェーン・グレイを女王に擁立しました。しかしメアリーが各地から支持を集めたことで、この政権はわずか9日ほどで崩壊。メアリー1世が女王として即位します。② メアリー1世のカトリック政策でエリザベスが危険な存在になるメアリー1世は、父ヘンリー8世以来の宗教改革を巻き戻し、ローマ・カトリックとの関係を回復する政策を進めました。一方、プロテスタント教育を受けたエリザベスは、本人が望むかどうかにかかわらず、反メアリー勢力が担ぎ上げることのできる王位継承者でした。その存在自体が政治的な危険を帯びていきます。③ スペイン王太子との結婚がワイアットの乱を引き起こす1554年、メアリーがスペイン王太子フェリペとの結婚を進めると、外国勢力、とりわけ強大なスペインの影響下にイングランドが置かれることへの反発が高まり、ワイアットの乱が発生します。エリザベスが反乱に直接加わった確かな証拠はありませんでしたが、反乱側との関係を疑われ、重大な嫌疑をかけられました。④ 母が処刑されたロンドン塔へ送られる1554年3月、20歳のエリザベスはロンドン塔へ送られました。そこは約18年前、母アン・ブーリンが処刑された場所でもあります。塔では厳しい尋問が続きましたが、エリザベスの関与を示す決定的な証拠は見つかりませんでした。前回のトマス・シーモア事件でも見せた、慎重に言葉を選ぶ姿勢が、この危機でも表れています。⑤ 囚われの王女が次の女王候補へロンドン塔から出された後も、エリザベスはウッドストックなどで監視下に置かれ、完全な自由を取り戻したわけではありませんでした。しかしメアリーには後継者となる子が生まれず、エリザベスは次第に王位に最も近い存在となっていきます。かつて反逆を疑われ幽閉された人物が、数年後には女王となる――この劇的な逆転がエリザベス即位へとつながっていきます。■ 関連年表1553年: エドワード6世が15歳で死去1553年: レディ・ジェーン・グレイが女王として擁立されるが、約9日で政権が崩壊1553年: メアリー1世がイングランド女王に即位1554年: メアリー1世とスペイン王太子フェリペの結婚に反対するワイアットの乱が発生1554年: エリザベスがロンドン塔へ収監される1554年: ロンドン塔を出た後、ウッドストックで監視下に置かれる1554年: メアリー1世がフェリペと結婚1558年: メアリー1世が死去1558年: エリザベスが25歳でイングランド女王に即位🙏番組へのご協力のお願い少しでも「勉強になった!」「面白い」と思っていただけたら、フォローやレビューをいただけると大変励みになります!🗣️聞き流し偉人伝からのお知らせチャンネルの品質アップ及び永続的な運営のため、サポーターを募集しております。3ドル(約450円)からサポートいただけますので、ぜひ応援いただけますと幸いです。【サポーター特典】・サポーター限定配信・活動進捗の共有配信・サポーター限定コミュニティーへの招待(予定)▼下記からサポーター登録いただけます!...
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