『#571【アメリカ独立戦争】なぜイギリスは入植を急いだのか?列強との領土争いと重商主義に隠された焦燥感』のカバーアート

#571【アメリカ独立戦争】なぜイギリスは入植を急いだのか?列強との領土争いと重商主義に隠された焦燥感

#571【アメリカ独立戦争】なぜイギリスは入植を急いだのか?列強との領土争いと重商主義に隠された焦燥感

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概要

本日のテーマ:「イギリスの誤算?アメリカ植民地政策の裏側と独立への火種」
アメリカ独立戦争を深く理解するために欠かせない、当時のイギリス側の事情。「重商主義」「厄介払い」「列強との競争」という3つの視点から、なぜイギリスはアメリカへの入植を推し進めたのか、そしてそこで生まれた決定的な誤算について解説します。

👇今回の見出し👇
イギリスの植民地思想/重商主義とは/金銀の蓄積と貿易黒字/安く仕入れて高く売る/資源と市場の確保/国内の宗教対立/カトリックとプロテスタント/不満分子の追放/物理的な距離/一石二鳥の厄介払い/帝国主義時代の到来/フランスやスペインとの競争/植民地争いへの焦り/入植のリスクと希望/イギリス人のアイデンティティ/アメリカ人としての目覚め/本国との意識のズレ

👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇
①経済的メリット「重商主義」
当時のイギリスは「国の富=金銀の蓄積」と考える重商主義を採用していました。植民地を持つことで資源を安く仕入れ、自国製品を売りつける市場とする。経済的な利益最大化のために植民地は必要不可欠な存在でした。

②国内問題の解決策「厄介払い」
宗教対立などで国内に不満を持つ人々(不満分子)を、植民地へ送り出すことで国内の治安を安定させようとしました。現地で利益を生みつつ、国内から厄介払いもできる「一石二鳥」の策として入植が推奨されたのです。

③大きな誤算「アイデンティティの変化」
イギリスは入植者たちがどこへ行っても「イギリス人」であり続けると信じていました。しかし、リスクを背負って新天地を切り開いた彼らは、次第にイギリス人ではなく「アメリカ人」としてのアイデンティティに目覚め始め、これが後の独立への精神的支柱となっていきます。

■ 関連年表
17世紀〜18世紀: ヨーロッパで重商主義政策が全盛となる
1607年: ヴァージニア植民地建設(ジェームズタウン)
1620年: ピューリタンがメイフラワー号で北米に到達(宗教的理由による入植の代表例)
1763年: パリ条約によりイギリスが北米大陸の覇権を確立(フランス等との争いに勝利)

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