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経営リーダーに必要なのは教養?それとも修養?|CULTIBASE Radio #76

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このコンテンツについて

今回のテーマは「修養と教養」。CULTIBASE Radioは、これからの時代の「人」と「組織」のマネジメントの実践論を探究していく番組です。経営コンサルティングファームであり、文科省認定の研究機関でもある株式会社MIMIGURIがお送りしています。パーソナリティーは、株式会社MIMIGURI 代表取締役Co-CEOの安斎勇樹と、同じく代表取締役Co-CEOのミナベトモミが務めています。

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▼概要

今回は「修養」と「教養」について話されました。ミナベ氏は三宅香帆氏の著書などから、修養が「他人を変えられないから自分を律して変える」という哲学を持つ労働者層教育に、教養が「社会は変えられる」という哲学を持つエリート層のリベラルアーツ教育に、それぞれ歴史的に結びついていたという整理を共有しました。この前提のもと、現代の自己啓発は修養的であり、大企業の経営層育成は教養的側面を持つという考察が進められました。


二人はこれらを踏まえつつ、探究は単なる「足し算的な養い」ではなく、得た知識や経験を再解釈し循環させ、新しい意味を生む「健全な代謝」に近いのではないかと議論しました。安斎は「修養」も「教養」も「養(よう)」という漢字が示す通り、「何かをプラスで取って養う」という足し算の営みであることに着目。これに対し、探究は必ずしも知識を増やしたり、自分を高めたりするプラスの力学だけではないと主張しました。


安斎は馬との交流を通じて「自己変容しなければならない」という強迫観念や「言葉で考えすぎている」状態から解放される感覚を経験したことを例に挙げ、これは修養でも教養でもない、新たな気づきであったと語りました。最終的に、探究とは、外部から得た知識や経験を単に蓄積するのではなく、「自分の中で再解釈したり、再構築したり、うまく循環させたり」すること、すなわち「健全な代謝」のような営みであり、「内側と外側の養分を取ることばかり考えているのではない」と締めくくりました。



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▼関連リンク

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