一人ひとりへの愛(ヨハネの福音書21章20節~25節)
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序)ヨハネの福音書の執筆事情
・「これらのことを書いた者は、その弟子」…「書く」といっても口述筆記である。実際に書いたのは「私たちは…知っている」という筆記者。
・「その弟子」はヨハネであるが 12 弟子の一人「ゼベダイの子ヨハネ」ではなく「愛弟子ヨハネ」である。
1)イエスが「愛された」弟子とは?(24~25 節)
・福音書記者ヨハネは、イエス様とは世代の違う(イエス様から見ると子ども世代に当たる)人物だった。
・過越しの食事において主催者の「胸元によりかかる」のはその中で最年少の子どもの特権だった。
・愛弟子ヨハネはイエス様一行といつも行動を共にしていた。彼は年少で大人の数に数えられなかったので、十字架刑に立ち会う女性たちの(母マリア等)間にまぎれることができた。
・年齢的な若さから、十二使徒に選ばれなかったが、初めからイエス様の公生涯を目撃した生き証人としてこの福音書を書いた。→イエス様は、大人も子どもも交じり合ったグループと生涯を共にした。
2)ペテロの弱さ、私たちの代表
・「主よ、この人はどうなのですか?」と聞きたくなったペテロは、他人が気になる私たちの代表である。他人との比較で自分の人生を評価したい。
・イエス様は、そういう評価に答えられない。「あなたは、わたしに従いなさい(従い続けなさい)」と繰り返される。→「今日、私はイエス様に従う」という一事に励むことが求められている。
3)誤解された言動と私たち
・「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても」という発言は、ヨハネの寿命より再臨が早いという噂を生んでいたので、ここで訂正がされる。
・神様の計画の大枠は聖書に記されている。一人ひとりへの愛のある導き、計画は、一歩一歩明らかにされていく。
・一人ひとりへの個別の役割がある。比べても仕方がない。どんな人も神の栄光を現すことができる者として贖われていく。
結)愛されている弟子として
・イエス様の胸元によりかかり、イエス様の声を聞いて生きていこう。