化物語シリーズのテーマは主人公をはじめとするキャラクターたちが少年少女から大人になっていく物語だ。つまり、結構、古典的なジュブナイルだ。
戦場ヶ原ひたぎは蟹と決別し母との思い出に向かい合うことで一歩を踏み出し、羽川翼は猫と虎に邂逅することで自己の再統合を成し遂げた。
八九寺真宵は迷いから覚め、忍野忍は寄り添うべき相手を見出し、千石撫子はなりたいものを自覚した。
さて、そのすべてに関わった主人公、阿良々木暦はというと、未だに何者たるかを決心できずにいる。人には大きな影響を与えているのに自分自身については極端に優柔不断だ。作中でも何になりたい、何をしたいと何度も皆から尋ねられて答えに窮している。なぜ、答えに窮するのか。自由度が高すぎるからだが、自由度が高いということは決定には確固とした拠り所が必要ということだ。
何人もの人生を左右してきた阿良々木暦はそれぞれの場での自分の判断に疑問を残している。だから次ではもっときちんとした判断をしたいと思い、拠り所をもとめ、人の生き方の真理にこだわる。
変っているのは、普通は自分が生きるうえで正しい判断をしたいがために真理を求めるものなのに、彼は人のために求めている。次に人を助ける時に正しい判断ができるようにと願っている。
そのことが化物語シリーズを他の西尾作品と一線を画す傑作にしている。
本作では10月からの忍野扇とのあれこれに一区切りがつく。ぶっちゃけて言えば、花物語に扇が登場してるので途中までの展開は、おやおやと言う感じだが、ちゃんとつながる。
思えば扇の正体はばればれだった。暦の過去を深く知るという点では可能性は絞られたと言える。お釈迦様か閻魔様かそれとも、だ。だからそこに意外性はなかった。
忍野扇の行動は阿良々木暦の行動の対極にあり、しかも筋が通っている。そして常に阿良々木暦は自分の判断と行動に悩み続けている。そこに全ての始まりがある。
結局は暦が正義のためと言う曖昧さを受け入れられなかったことが始まりだ。その姿勢は真理を追求するということに通じる。いかにも青臭い。真理の追究は単なる勧善懲悪や正義の主張とは次元が違う。
意外に主人公が真理を追求するというのは斬新だ。斬新というより小説向きではない。真理なんて分かりにくいものは読者を引き付けないからだ。
読者はキャラクターの人格か物語を支持する。主人公の活躍にわくわくしヒロインに魅了される。主人公の思想に共鳴する作品は意外と少ないが、それでもあるいはその方が楽しめる。
阿良々木暦は実はそれほど活躍してはいないし、その考えるところも決して読者の共感を呼ぶものばかりではない。
でもなぜか見守りたくなる。読み続けたくなる。なぜか。
小説では正義に対立するのは他の正義とするのが定番だが、暦は一方を是として戦うことにいつも疑問を持つ。本作のラストにその思いが行動となって吹き出す。
もちろん戦いの場では理の通らない行動だが、暦の求める真理に即した行動でもある。そして最後にあの男がそのことに裏書を与える。ちょっとご都合主義かもしれないが、それでいい。これは小説なのだ。
地獄の有様もちょっとどうかと思うが、ここで閻魔大王がでてこなかったのにはほっとした。いくらなんでもそれはぶち壊しだから。
なにが真理かに悩むのは青春の証明だし、日本人は青春時代を好み尊ぶ。真理にこだわるのは青臭いが死ぬまで持ち続けたいと誰もが望む。
案外だが、多くの国では成熟して矛盾を矛盾として扱えるだけの人間的な幅が尊ばれる。だから政治や社会をテーマにした小説が支持される。
無論、日本でもそうした作品は好まれるが、その一方でこうした青春小説も幅広い年齢層に支持されている。化物語がここまで支持されるのは暦の心性が日本人の志向にぴったりと重なるからと言えよう。
ともかく、阿良々木暦の青春の物語はここに完結する。予定調和というか、ご都合主義というか、落ち着くところに落ち着いたという感じだが、それでも最後まで真理に対して真摯だった。
その姿勢こそ彼、阿良々木暦を主人公たらしめたし、読者もそれを支持した。だから青春が終わっても求めるものを変えないでほしいという読み手の願いは最後の一ページで応えられている。
続終物語が楽しみだ。
さて、ここからは蛇足。
本作では結構、本気で怖いものが登場する。まず、蛇のしっぽでのリフティング、次いで戦場ヶ原ひたぎ運転の自動車、全盛期の怪異殺し。もちろん、どれも怖がらなくても良いのだが、これまでの色々なエピソードを知っているとくるものがある。戦場ヶ原ひたぎの運転というのは異質かもしれないが、ホッチキスで神原駿河や阿良々木暦を制圧する彼女が、走る凶器を駆るというのは相当こわい。しかしそれがそうでなくなっていることが彼女が阿良々木暦の彼女たる所以であり、本作の意味もそこにあることに気付くと彼女の女らしさに感動する。
なんだ、ちゃんとヒロインじゃないか、そんな印象を受けることは間違いない。
それから、381頁の羽川翼の発言から老倉育も同じ大学の数学科を受験したことがわかる。「…おい…」と言いさしてしまうあたり、かつての完璧超人時代の羽川翼にはありえないことだが、それでも軌道修正できるのはさすがというか、やはり超人的というか。この老倉の進路からもう一つ、終物語上の382頁にある老倉の置手紙の内容も推測できる。おそらく「もう一度私も数学を勉強する。阿良々木君には絶対に負けない」ということと思われる。これもまた不遇を極めた彼女の青春の終焉なのだろう。