キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード、のちの忍野忍と阿良々木暦の邂逅がテーマ。
二人は後に誰も割り込めない独自の関係を築く。
しかしそれは多くの人間の血に染まっている。
出会いとかなれそめというより、邂逅という言葉しか当てはめられないくらい重い話だ。
人を殺すということは人間にとっては罪だ。
なにより三人のバンパイアハンターは人間を守ることを使命としている。
でも吸血鬼にとってはどういうことか。
ただの食事に過ぎない。人が豚や牛を食べるのとなんら変わらない。
阿良々木暦はそのことに直面して苦悩する。
何より吸血鬼から人間に戻りたいと願う以上、人間を殺し食らうことはできない。
ハートアンダーブレードが当然とするこのことと人間として相いれないこの矛盾をどうやって解決するか。
羽川翼はあまりにも強すぎる「正しさ」でハートアンダーブレードの本心を暴き出してしまう。
正しいが故に吸血鬼であるハートアンダーブレードですら告白しかねる、耐え難い事実だった。
それは彼女のやさしさというより阿良々木暦への申し訳なさというべきか。
全編を通して、羽川翼の純粋すぎる善意が随所に顔を出す。
それは始めは素晴らしい友情に、やがて愛情に、しかし最後には異常に感じられる。
明らかに人間離れしていて人物造形として違和感がある。
そのことは猫物語で語られることになるが、なんにしても純粋な善意は単純な暴力に匹敵するくらい過激だ。
過激であるとともに容赦がない。
羽川翼の純粋な善意は阿良々木暦を窮地に追いやることになる。
それを救ったのが忍野メメのバランス、否、欺瞞であったことは皮肉というしかない。
だが、それが人間らしさと感じられるのは私が凡俗だからではあるまい。
それだけに、戦場ヶ原ひたぎをはじめとするほかのヒロインとのエピソードは人間味が感じられる。
どれも吸血鬼性を少し残した人間の阿良々木暦と怪異に囚われた人間の少女との物語だからだ。
基本的に人間対人間の物語だ。そこには自分が人間かという深刻さを棚上げできるゆとりがある。
その点、傷物語は人間と怪異の鬩ぎあいの物語だ。阿良々木暦とハートアンダーブレードは自分が何者かという命題に直面している。
ハートアンダーブレードは吸血鬼としてのアイデンティティがある。阿良々木暦は人間に戻りたい吸血鬼だ。
人間とは何かというとても重い命題が、常にどこかで登場人物たちによって語られている。
そのことは本作を化物語シリーズのなかで異端の位置に置いている。
それでも傷物語が化物語を代表する作品なのは、阿良々木暦の人間であることへのこだわりが語られているからだ。
そのこだわりとハートアンダーブレードへの思いとの折り合いの付け方は、悲劇的と言わざるを得ない。
とはいうものの、このエピソードがなければのちの出会いもない。
阿良々木暦の不運とハートアンダーブレードの不本意を読み手として楽しもう。